追憶・寺原温泉軌道

昭和58年盛夏。
祖父の葬儀のために急行列車に乗りこの地へやって来た。

通夜は明日の夜行われるので、本日は暇である。私はその間に寺原温泉軌道という廃線跡を見に来たのであった。

売店で購入した瓶入りサイダーを飲みながら、手元の本を確認して始発駅の跡地に向かう。
「寺原温泉軌道始発之地」と筆文字で書かれた白い杭と赤錆の車止めが僅かにそこから鉄路が伸びていた証拠を示しているのみであった。

寺原温泉ーー 古くから知られる温泉地である。
現在では寺原新道という高速道路を使えば30分足らずで行けるようになったが、それまでは山道を3時間かけて行かなければならない程の秘湯であった。

そのような時代の中では、鉄道というのが挙がるというのは至極必然的な状態になっていた。明治時代からの願いが叶い寺原温泉軌道が成立したのは昭和に入ってのことであった。

昭和3年に開通した寺原温泉軌道は、機関車に客車1両繋げただけという非常に簡素なものであったが、軌間3ft(914mm)を約80分で走る鉄道の姿に住民は非常に驚いたという。
その後寺原温泉には保養所や旅館が立ち並ぶようになると、近隣住民が手軽に通える場所となるまでになった。

しかし、昭和18年に寺原温泉軌道は不要不急路線に指定されてしまう。
全ては戦争のために捧げる時代ゆえ仕方がなかったと言えるが、鉄道を失うというということで当時の人達は悲しんだのではないかと推測する。
こうして、明治時代からの悲願であった鉄道であったが、たった15年間という短い生涯を終えたのであった。

15年間という短い路線であったが、地元からは非常に好評であったという。
祖父もそのうちの一人で、私は祖父から寺原温泉軌道についての昔話をよく聞いた覚えがある。
また、祖父が祖母と結婚したのは昭和6年のことであったが、ささやかな新婚旅行として寺原温泉の老舗旅館に泊まったようだ。その際にも寺原温泉軌道を使ったのだという。

そんな祖父が亡くなった。これからますます寺原温泉軌道を伝える人がいなくなっていくだろう。
確かに書物などには「記録」としては残る。しかし、「記憶」を伝えることはその時生きていた、利用していた人のみができることである。

私も自分の「記憶」を伝えたい、そんなことを今は亡き路線に重ね合わせるのであった。
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