「……それでは、13日にお待ちしておりますので。……はい、こちらこそ宜しくお願いいたします」 そう言って受話器を置き、近くにあった紙を見る。 「係長、鉄ともさんに取材は予定通りで大丈夫と伝えました」 私は宮田謙治。今年城中電鉄に入社したばかりのいわゆるフレッシュマンってやつだ。この仕事にも何とか慣れて、先ほど雑誌の取材についての連絡をしていたところだ。時計を見るともうすぐ15時45分になろうとしている。このまま何事もなければ17時には帰れるだろう。そう考えていると係長が自分を含めた係員にこんなことを話し出した。 「あ、16時から会議やるんで第1会議室に来てな」 私は一体何があるんだろうという感じであったが、辺りを見回すと先輩社員はこれからどんな会議をやるのか分かっているような顔をしている。どことなく楽しみであるという雰囲気が顔から伝わってくる。あまり悪いことではなさそうなので、私は胸をなでおろした。机から筆記具とノートを取り出して会議室に向かう。 「本日の会議についてであるが、知ってる人は知っていると思うが来月23日に『城電トレインフェスタ』を開催することが決まった。このイベントは鉄道ファンはもとより、小さい子供に鉄道の楽しさを知ってもらうことにより、将来も利用してくれるようにと考えてのイベントだ。というわけで、私達社員が率先して楽しんで欲しいと思う。準備は大変だとは思うが、経験者はアドバイスをしてやって欲しい」 そう言うと部長は、会議の参加者に印刷物を見るよう促した。印刷物には、11月23日の9時から15時まで泰原台車庫でイベントを行うこと、現行の車輌が一通り展示されるのにあたっての前日動かす車輌の計画表、イベントの内容、会場の物販コーナーに来る予定の他社の一覧などが記されていた。 「色々なイベントがありますが、特にどのイベントが人気なのでしょう?」 先ほどの印刷物には、城電カラーのミニ列車を運転するイベントがあり、乗車記念として硬券を渡すという旨のことが記されていた。なかなか乙なイベントではないか。個人的なことで申し訳ないが、自分も旅行先で鉄道に乗ったら駅員さんに切符を渡して無効印を押してもらうということがよくある。切符が手元に残るというのは嬉しいものである。いつだったか旭川に出かけたときに「乗車記念」というスタンプを押してもらったことがあったが、駅員さん曰く「普通の『乗車無効』じゃ味気ないでしょ?」と言っていた記憶がある。 「君は新入社員だね。ところで、イベント会場では弁当やパンやお茶などは勿論販売されるわけだが、毎年豚汁を1杯150円で販売している。これがなかなかの好評なのだよ。君、豚汁を作ってくれないかね? いや何、君だけじゃなくて去年も作った事のある人がいるから教えてもらうといい」 部長に新人の自分が仕事を頼まれる。これは何やら大きい仕事なのではないだろうか。意気に感じた私は「是非やらせてください」と答えた。すると部長は次のようなことを言った。 「おお、やってくれるかね。実は結構な重労働でね、男の人手を捜していたところなのだよ。ホラ、11月も下旬になると日中でも寒くなるだろ。だから結構売れるんだよ。毎年600杯分作ってるんだけど2時には完売するくらいの人気でね。あ、鍋は泰原台の倉庫にしまってあるから。それじゃあ頼んだよ」 ……600杯。学校給食で味噌汁が出たときに配膳するのが大変だった覚えがあるが、あの鍋で40人分程度である。これが1日で売れてしまうとは凄いイベントなんだなと感心する。 そんなわけで会議は滞りなく終了し、終業までまだ時間があるので部屋に戻って自分の席に座り手帳の11月23日の欄に「トレインフェスタ」と書き記す。すると隣に座っている3つ上の先輩が話しかけてきた。 「なあ、宮ちゃん。お前新入社員で仕事くれたのか。すげえな。俺なんて最初は手伝いだけだったんだよ。っつーことはすんげぇ期待されてるってことじゃんか。頑張れよ」 ……肩をポンポン叩く。先輩、ちょっと叩きすぎでは。 「ところで先輩は今年は何をやるんですか?」 「……ん、俺か? 俺はイベントに来る近隣の鉄道会社へのアポとかそんなところ。みんな結構気合入ってるから結構いろんなモン売りに来るんだよ。あと、当日は記念切符とかカレンダーとか売るのに回る」 「そういやウチも結構いろんな所の鉄道イベントに顔出してるそうですね」 「そうそう。引越しのトラックみたいなのに荷物積んで。ちなみにアレ手配してるの俺なの。それでいつもそういうテのアポなんかは俺がやってるって算段な訳」 「そうだったんですか。やっぱり分かってる人に頼んだほうがいいですもんね」 そんな話をしていると17時を回る。かくて私がやることはパンやおにぎり、飲み物などの発注、600人分の豚汁作り、そしてそれを当日販売することである。 週が明けた月曜日、私は泰原台車庫の倉庫にあるという寸胴を見に行くことにした。車庫に着き、早速鍵を受け取りに行くことになった。応対してくれたのは事務方である。 「土曜日は取材、お疲れ様でした」 倉庫の扉を開く。何やら古い座席やら金属部品、果ては車内に掲示する停車駅案内などが置いてある。 「あ、それは鉄道イベントで売るもんです。即席のオークションなんですけど、毎年結構いい値が付くんですよ。まあ、こういうのはホントは捨てるモンだったんですけど、こういうのが好きな人がいるなら捨てないほうがいいですからね。あ、寸胴ありました」 ……デカい。見るからに大きいのが分かる。600杯分の豚汁を作るのだから当たり前といえば当たり前である。 というわけで、あえて遅い時間に食堂に行くことにした。今日のオススメはメンチカツだそうだ。というわけでメンチカツ定食を注文。メンチカツにソースを、サラダにフレンチドレッシングをたっぷりとかけて席に着く。 「ご馳走様でした。美味しかったです」 そういい残すと厨房の奥に行き一枚の紙を持ってきた。そして私に見せてくれる。 「これこれ。豚薄切り肉8キロ、ジャガイモ20キロ、白菜12個、ネギ40本、大根8本、人参32本、豆腐24丁、こんにゃくも24丁、ゴボウ24袋、味噌が6.8キロ。あと七味唐辛子を大きいパックに2袋あればいいかな」 さらっと言ったが、何やらとてつもない量である。 「凄い量ですね。これどこで発注すればいいんでしょう」 「ほら、去年四方辻駅の近くに大きなショッピングセンターできたじゃない。名前なんていうんだっけかねぇ。……ええと、まあいいや。あそこの中に入ってるスーパーに発注してたみたいだよ。リニューアルしてから駐車場も大きくなって受け取りやすくなったって言ってたよ」 さすがにこの量を当日何も言わずに買うのは失礼ということで、5日前に予約をすることにした。仕事場に戻り、当日売るおにぎりやパン、飲み物を発注して本日の業務は終了した。 時は進んでトレインフェスタの前日である。時刻は午後2時。既に泰原台車庫では設営がなされていて、寸胴と発注しておいた豚汁の食材が運び込まれていた。豚肉は食堂の冷蔵庫に保存してもらっていた。食堂のオバちゃん3人が泰原台車庫に来て手伝ってくれることになった。 「それじゃ始めますか」 文字通りの「格闘」が始まった。大根やジャガイモ、人参といった皮を剥き、小さく刻んでいく。お世辞にも私は料理が上手いというわけでもないため、かなり苦労する。その点食堂のオバちゃんはプロである。かなりいいペースで材料が刻まれていく。刻んだ材料は寸胴に投入していく。 「終わったねぇ」 調理器具を片付け終わり、まだ時間があるようなので車庫の中を見てみることにした。車庫の中には運転を終えた列車が並んでいる。恐らく明日展示するものだろう。それを熱心に拭いている人がいた。何となく気になったので声をかけてみる。 「お疲れ様です。明日展示する車輌ですか?」
「んー、そうだよ。やっぱ人様に見せるもんだからねえ。ちょっとでも綺麗にしてやってたんだ。ほら、女の人が出かけるときに化粧するじゃん、あれと一緒。特にこの500は鋼製なんでやっぱ汚れ目立つんだ。ただ、ステンレスでもウチは塗装してるんで大して変わらないんだけどさ」 私はここで働いている人は鉄道を、車輌を心から愛しているんだと思った。良い意味で子供と言ってもいいだろう。鉄道について語ってくれるときは皆いい笑顔をしている。それも屈託のない笑みで。恐らく鉄道がこの地域に根付いている証左であると感じた。明日のイベントは成功するだろう。そう心に誓った夜であった。使い終わったフライパンや包丁などを入れた箱を軽トラックに積み込んで本社に向かった。 翌日。いよいよイベント当日である。時刻は午前6時30分。本社の倉庫にはおにぎりやパン、飲み物などが既に運び込まれていた。それと食堂に保管してもらっておいた味噌を軽トラックに積み込む。 車庫に着くと既に食堂のオバちゃんたちが待機しており、味噌の到着を今か今かと待ち構えている様子であった。寸胴を見ると既に火が付けられており、だし汁が入っているようであった。 「昨日はお疲れ様でした」 待つこと1時間。だいぶ煮えてきたところで味噌を漉しながら入れていく。これが結構大変な作業ですべてが終わるのに30分程度かかったであろうか。味噌を入れ終わったところで弱火にしてそのまま30分くらい火にかける。すると、寸胴から味噌の香りが漂ってくる。少し味見。 「味もちょうどいいですし、大根も中まで火が通ったみたいです」 そんなわけで完成したのは午前9時頃。開場はもうすぐに迫っていた。 私は主に昼食等を販売する係なので最初はあまり人足が少ない。強いて言うならば飲み物を買う人がいるくらいであろうか。 11時頃になると急に客足が増えてくる。豚汁が少々冷めてきたので火を入れて温め直す。 「おいしいね、おじいちゃん!」満開の笑顔である。 そんな声が聞こえた。その一言で疲れが吹き飛んだ気がした。……あぁそうか、この時のためにこんなに頑張ってたんだったっけ。 外は指がかじかむ寒さだけれど、私の心はどことなく暖かかった。 |