城中電鉄 

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「城中祭り」について

歴史

 城中祭りは、江戸時代後期より続く祭りです。綾路藩の城下町として繁栄をしていましたが、俗に言う「文政10年の大火」により町はほぼ焼失してしまいました。家や寺社のみならず、多くの人が犠牲となり城中の町は悲しみに包まれました。
 そんな中、当時の綾路藩藩主であった石國吉右衛門が「城の中で藩が主催となって追悼するイベントを行いたい」と言い、9月の満月の日に開催されるという運びになりました。
 さて、祭りといえばお神輿です。神輿には若い女性が乗っており、神輿が到着するとその女性がとある男性の元に駆け寄って行きます。そう、その女性と男性は愛し合っていたのでした。
 男性は藩で仕事をしている役人、女性は城中の町で醤油(春詠川で取れる小魚を使った魚醤)を作っている家の娘。大火が発生する直前に結納まで済ませており、結婚の準備は万端でしたが大火により女性の家は全焼してしまいました。女性の家族は火事に巻き込まれ、高齢の両親は煙に巻かれてそれぞれ亡くなり、この女性も亡くなったのではないかと思われていました(亡くなった方が多すぎたので誰が亡くなったのかすら藩も把握できていなかったものと思われます)。
 藩ではこの再会に感動し、数ヶ月後にめでたく結婚の運びとなりました。
 これが城中祭りの起こりです。祭りは毎年行われているのですが、なぜか山車に乗った女性は1年以内に結婚しています。

スケジュール

 祭りは朝から始まります。地元の農協の協力による野菜の販売、広場ではフリーマーケットやバザーが開催されます。

 二の丸公園に設けられる舞台では、地元の高校生や大学生によるバンド演奏や城中東桜高校による吹奏楽、城中修成館高校應援團によるバンカラ応援などが行われます。また、舞台では若手お笑い芸人のライブも行われ、なぜかこのライブに参加すると有名になるというジンクスがあるそう。
 また、舞台ではヒーローショーも行われます。このヒーローショーは、地元の一般人が扮装しており、普段は幼稚園や小学校などに出張に行っており、子供からはかなりの人気があります。

 また、城中電鉄でもこの祭りに協力しており、泰原台車庫の無料公開のほかに祭りの日には専用ヘッドマークを電車に付けて運行します。「城中祭り記念切符」という硬券(城中−二の丸公園間)も発行しています。

 二の丸公園の前の通りでは、聖ミストニア女学院高等部によるマーチングバンドによる演奏が行われ、南陽学院大学のサークルからは、思い思いの衣装で練り歩く(これを一般的には「コスプレ」と呼ぶのですが)。

 昼からは県内のB級グルメや模擬店が出店します。

 夕方よりいよいよ山車の練り歩きがスタートします。山車には年女が乗ることになっており、女性は和装します。また、事前に応募します。応募する際には証明書等が必要ですので、鯖を読むことはできません。残念でした。
 和装および化粧等は市内の衣装屋や美容室等の協力により山車に乗る1時間前にセットしてくれます。城中祭りのためならと全面的にバックアップしてくれる体制が整っているのです。また、写真も撮ってくれるぞ。
 二の丸公園の前の通りを2つの山車が東西より進んできて、二台の山車は午後9時頃に到着します。商業高校前駅方面より南下する山車には扮装した大学生、綾路駅方面からの山車には件の女性が乗っています。
 夜になると、二の丸公園や山車の通る道には松明が焚かれます。当時は本物の火だったのですが、最近ではライトになっています。城中市としては本物の火がよかったそうなのですが、消防署からストップが入ったそうです。曰く「もう一度大火が起こったらどうするんだ」と。それなら仕方ないとして城中市側が引いたそうです。
 山車が到着する30分前くらいから武将の格好をした人(地元の売れない劇団員が多い)が、舞台上で即興劇を行っています。
 山車が二の丸公園に到着すると、わざとらしく「到着なり〜」などと言い、舞台の数10m前まで山車を寄せ、石畳に女性が降りて、男性の元に駆け寄って行きます。武将役の男性は女性をお姫様だっこして舞台上に上り終了です。直後に鐘ヶ浜より花火が数発打ち上げられます。
 この日だけは子供は遅くまで起きている事や、夜に外出しても許されていました。というか、積極的に出ることすら勧めていたほどです。さすが市民に愛されている祭りなだけありますね。


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