城中電鉄 

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700形


▲700形のイラスト(城中市立城中第一中学校・豪徳寺隆太君提供)

 700形は200形を置き換えるために2002年より登場した車輌で、いわゆる「日車式ブロック工法」を採用しています。

概要

導入の経緯

 1999年に城電の役員会において「21世紀における城中電鉄の役割についての取組」が採択され、2001年を目途として新しい車両を導入することが決定されました。その車両として導入されたのが700形で、老朽化してきた200形を置き換えるために2002年に製造されました。
 この車両のコンセプトは「経済編成」を作ることでした。3両編成での城電では、本当ならば1M2Tという編成も考えられるわけですが、駅間が最短で800mという路線の城電では、加減速を頻繁に行う必要がありどうしても許容できなかったのです。1M2Tにすると経済編成になりますが、どうしてもM車が少ないため、加減速性能が落ちます。経済編成と加減速性能の両立を考えるならば、1M2Tは許容できません。しかし、「以前ならば」3両編成での城電でのMT比はオールM、2M1T、1M2Tの3通りしか考えられませんでした。2両編成を基本としてT車を連結し1M2Tにするという考えもあるのですが、ラッシュ時以外にはT車が車庫で昼寝をすることになってしまうため、この案は却下されました。
 そう、「以前ならば」そのような制約があったのです。今までの電動機では必ずM車には4個搭載しなければならかったのですが、VVVF車ではそのような制約もなくなりました。そこで、2両のM車の一方の電動機を2個に減らすことにしました。これならばMT比を1:1にすることができます(1M1Tで「経済編成」というのもどうかと思いますが……)。ともかく、200型以来のMT比1:1の車両が誕生しました。

車輌概説

車体

 車輌長は、600形と同様の18m3扉が採用されました。
 車体は車両を軽くすることによってモータにかかる負荷を減らせないか、と考えました。600形で初めて取り入れられたステンレス車により今までの鋼製車両よりも重量を減らすことに成功したのですが、それだけでは重さを少なくすることはできないと考え、今までの製造元である川崎車両に相談しました。すると、日本車両が設計した工法である「日車式ブロック工法」という、側窓とドア上にわたる長い幕板を廃止し、構体のドア部分とそれ以外の部分を別々のブロックとして製作して結合するという工法ならば低コストで軽量の車両が作れるという話を聞き、「これならば」と考え導入することとなりました。これにより、同じステンレス製の600形よりも軽くすることができるようになりました。
 窓は窓は固定窓を採用することにより、軽量化の車体で強度を上げることに寄与しています。また、強度をあげるため、JR東日本の209系等で採用されている大型1枚窓を採用しています。窓には静粛性をあげるためコーキング加工を施しています。

内装

 座席はオールロングシートで、バケットシートを採用することによって着席位置の明確化を図ることとしました。
 車内の化粧版は木目調を採用し、「高級感」を演出しています。
 また、この車両より初めて行き先表示機と車内に3色LEDを採用しています。ただし、車内放送は原則として車掌が行うことになっています。

▲700形1次車(701F〜703F)の案内表示装置。千鳥配置で設置されている

主要機器

 主電動機は600形と同様のTDK-6110A(165kW)を採用していますが、車輌が軽量化した分、加速度をα=3.3km/h/s、β=4.0km/h/sとしています。歯数比は6.53(7.07では高速域では辛いのです)。  制御装置は三菱IGBT-VVVF(MAP-224-15VRD1)を初採用。東洋電機が主要電力半導体は三菱電機より供給を受けているため、連携できるというのが大きいようです。
 台車は200形のミンデン式をそのまま流用しています。実はボルスタレス式を導入する案もあったようですが、使い慣れたものを使うことを選びました。新しい技術を導入することにより技術を退化させることもあるからです。運転台も200形を流用し、ツーハンドルでタッチパネルなしの従来のオーソドックスな運転台が採用されました。

沿革

 2002年に導入されると、口の悪い鉄道ファンからは、見た目だけを見て「標準車両じゃねえか」、「走ルンです」と口走ったようで「城電もついにやっちまったか」などと某巨大掲示板に書かれていたようです。
 しかし、乗務員からの評判はとてもよいようで、当面この車輌で置き換えが進むようです。


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