城中電鉄 

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300形(初代)

 300形は、1966年から2011年まで在籍していた城電の特急型電車です。

概要

導入の経緯

 それまで城中電鉄では特急は走っていなかったのですが、1964年に東京オリンピックが開催されたあたりから高度経済成長が始まり、「速いことはいいことだ」という風潮が高まってきました。
 さて城電では、高度経済成長に合わせて自家用車の普及が広がるにつれて、利用者が減ることを危惧していました。乗用車というのは電車と違って、目的地にドアtoドアで行けるという大きな利点があります。いくら車は渋滞に巻き込まれたからといっても、それを補って余りある魅力があるのです。また、特に通勤電車は「ラッシュ」という概念があります。車ならば座って行けるものを、電車では満員電車で座れない、という可能性もあります。また、沿線の道路が整備されるようになっていったというのもあります。
 そこで、城中電鉄では1966年にビジネス用途での使用も可能とすることができる特急列車を製造することになりました。それが300形です。

車輌概説

車体

 車体は18mとこれまでより1m長くしました。これは今までよりも出力の大きなモータになったということもありますが、一人でも多くの乗客に利用してもらえるようにとされています。扉は特急らしく片開きの2扉、扉の幅は1,000mmと一般的な大きさになっています。車体は鋼製となっています。
 前面のガラスは曲面ガラスを用いていますが、窓の傾斜をやめることによって形を単純化して工賃を抑えています。

内装

 300形は乗車駅で座席着席券を購入することによって必ず席に座ることができることを主眼に置きました。そのため、設備や走行機器においては大幅に見切っています。
 設備面においては、ビジネス用の仕様のため特別な設備はありませんが、先頭車両には会社などに連絡をするために公衆電話が置かれています。現在はあまり使用しているのを見ませんでが、かつてはサラリーマンが電話をするのをよく見かけました。
 トイレは20分程度の乗車ならば必要はないとされたため設置していません。トイレを設置することによって場所をとり、座席も少なくなります。また、当時の技術では垂れ流しなので沿線住民から苦情が来ることも大いに予想されました。それに、終着駅でトイレ掃除をすると時間もかかるのです。
 客室の座席はベージュ色を主体とした転換クロスシートを使用しており、座席間隔は900mmと一般的な転換クロスシートと同様の間隔となっています。
 車内設備はファンデリアが設置されています。これも運賃の他に座席指定料金を払って得られるものなのではないかと思います(もっとも、1984年に城電の車両で先陣を切って冷房化されるにあたってファンデリアは撤去されました。一番最初に冷房化に踏み切ったのも300形がフラッグシップという想いがあったのでしょう)。

主要機器

 走行機器は同時期に製造された200形とほぼ共通しており、駆動方式は中空軸並行カルダン方式となっています。主電動機は200形で諦めざるをえなかったTDK-816A(100kW)を採用しました。おそらく「いつか使ってやろう」と思ったのでしょう。また、自家用車に対抗するためには75kWではパワー不足だと感じたのでしょう(当時の宮代〜鐘ヶ浜間は20kmを42分、表定速度28.6km/hというスピードでした)。定員制の車両で行くと決めていたので、応荷重装置は未設置となっています。起動加速度は2.3km/h/sとなっていますが、歯数比を4.21に低く抑え高速性能を重視しました。

沿革

 導入当初は1時間に1本の運用となっていましたが、後年には20分ヘッドでの運用に落ち着きました。オイルショック時にはラッシュ時に2扉は混雑の原因となる(このことから当時のラッシュの凄まじさが分かるというものです)ため、朝ラッシュ時は使用されませんでした。
 1984年に城電の車輌において先陣を切って冷房化がなされました。大手私鉄の特急列車ような豪華な設備ではないものの、クロスシートの特急用車両ということで、300形は城電のフラッグシップトレインとして長らく君臨し続けました。
 また、会社から帰宅する際に座って帰れることができ、いわば「ライナー」のような役割も果たすようになりました。座席指定料金が最高で200円ならば座って帰りたいですものね。
 しかし、老朽化が激しくなってきたこともあり、1999年より順次新型特急列車に置き換えられていきました。新しい特急列車は「300形」とされました。やはり「300形」は城中電鉄のフラッグシップトレインという認識なのでしょうね。残る1編成も「鉄道に関する技術上の基準を定める省令」が改正されたことにより、ドライブレコーダの設置が義務付けられ、期限の2011年6月末日をもって引退しました。


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