城中電鉄 

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200形(200型・250型)

 200形は、城電がかつて所有していた通勤型電車です。城電の車輌として初のカルダン駆動方式を採用した電車で、「高性能電車」であり、本形式で採用された技術はその後の城電の車両における基礎的なものと位置づけられています。

概要

導入の経緯
 1960年代、高度経済成長の中で城電の利用者が増加しました。また、第一次ベビーブーム期に生まれた子どもが高校生になり、高校へ通うために城電を利用するため、朝ラッシュは混雑を極めました。60年代ではまだ自家用車の保有率も少なく、地方私鉄にとっては幸福の時代といって良いでしょう。
 そこで城電では100形を新造し、ラッシュに入れようと画策しました。しかし、発注元の川崎車両によると、100形の駆動方式である吊り掛け駆動は古く、既に新造をしていないということでした。また、吊り掛け駆動方式では電動機の重量が直接車軸にかかるため、軌道に対する衝撃が大きく、そのため騒音も大きくなります。これではラッシュ時に騒音を撒き散らして走ることになってしまい、沿線住民から苦情が出ることが予想されました。
 さて困りました。そんな中、川崎車両からは電動機の重量を直接車軸にかけず、ばねを介してかける「中空軸平行カルダン駆動方式」を提案されました。ただ、城電ではカルダン駆動は導入した事が無く、吊り掛けの技術が使えないという事に対し、躊躇いがあったのも事実です。
 技術がないならば、教えてもらってモノにしてしまえばいいわけです。川崎車両からは前年の1961年に中空軸平行カルダン駆動方式を導入した大手私鉄があるということを教えてもらいました。それが3601=3701形で中空軸平行カルダン駆動を導入した阪神電鉄です。阪神電鉄といえば「技術の阪神」といわれるとおり、車両に対する見識の高さで知られています。また、車両の手入れもすばらしいものがあります。この提案に城電は渡りに船とばかりに飛びつきました。導入するにあたっては、阪神電鉄の技術者が城電に派遣され、また、城電の技術者が阪神電鉄に見学に行ったりしながら技術を伝授されていきました。
 そして、1962年に200形が新造されました。ちなみに200形は他の車両とは違い、置き換え用の車両ではありません(100形は別ですが)。ちなみに、公式には200型と250型を総称して「200形」とよびます。

車輌概説

車体

 車体の長さは100形と変わらない17mとしました。これは、車体を大きくすると車体が重くなるためです。また、材質も100形と変わらず鋼製となっています。ステンレスやアルミという材料がありますが、当時はまだまだ高かったため、鋼製を選ばざるをえませんでした。そのため1編成あたりの重量は60t(3両編成で92t)となっています。
 扉は車体を少しでも軽くするため、2扉ではなく3扉を採用しました。扉の大きさは現在の主流の1,300m両開きです。窓は二段上昇窓を採用しています。冷房がないので夏に窓を開けなければならず、一段上昇窓にすると髪が乱れますしね。
 また、200形はラッシュ時に連結して運行するため中を通り抜けられるようにということで貫通路を初採用し、「湘南型」から決別しました。
 デザイン面では、前照灯が上部隅に2灯、クリーム色の車体に赤のラインが塗装され、現在の城電の基礎を確立しました。

内装

 座席は全てロングシートですが、当時は特急がなかったため長時間着席していても疲れない仕様となっています。

主要機器

 200形の特徴は、通常は1M1Tの2両編成で運行しますが、M車である250型を増結することによって3両編成でも編成が可能となった点です。ラッシュ時には2M1Tになるため、加速力を上昇させるわけですね。
 主電動機は東洋電機のTDK-810という75kWのモータを使用しています。本当ならばTDK-816A(100kW)を使いたかったのですが、如何せん地方私鉄、金がありません。「なーに京急1000形や京成3150形じゃそれで充分走ってるじゃなイカ」と思って導入したわけですが、京急1000形や京成3150形は全電動車。1M1Tで使うと考えていた城電は困惑したようです。最高速度もこの時80km/hから90km/hへ認可申請してしまいました。しかし、いくらなんでも早とちり過ぎだろうと思いますが……。1M1Tを組んで最高速度90km/hって「そんな装備で大丈夫か?」という話です。しかし、「問題ない」との判断がなされました。ほぼ勾配がない路線の特性等を鑑みてのものだったようです。
 200形の起動加速度の計算をしてみましょう。TDK-810の引張力は全界磁で950kgで、モータは1つの車両に4基搭載されていますので引張力は3,800kg(2M1Tにすると7,600kg)になります。車両の重量は2両編成で60t、3両編成で92t(250型が両運転台のため若干重くなっています)。定員は2両編成で216人、3両編成で312人となっています(定員以上乗車するということで応荷重装置が設置してあります)。計算すると、1M1Tで1.7km/h/s、2M1Tで2.2km/h/sとなり、許容範囲ということで落ち着きました(実は、両運転台のため250型のみで自走できるわけですが、250型の起動加速度は3.3km/h/sになるのです。他の車両が事故等で使用できなくなった際に一時的に250型で代用するということも考えられていました)。弱界磁は起動加速度2.2km/h/sから落とすことになりかねないとの判断で見送られています。
 また、貧弱なモータのため冷房装置はありませんでした。後年、TDK-814-A(110kW)へ機器変更が行われた際に冷房が搭載されました。歯数比は77:14の5.5となっています。
 台車はペデスタル式ではなくなぜか重いS型ミンデン式台車を導入しています。ペデスタル式だと乗り心地があまりよくないのです。ただ、台車の良し悪しが全てかというとそうではなく、保線もよくないといけないのは当然ですけどね。

沿革

 1962年から1966年まで製造され、間を置いて1973年に3編成9両が製造されました。その後、1980年代から始まった城電の車両の冷房化に併せて1986年より通勤型車両の先陣を切って冷房化されました。その際にモータを500形で使用したTDK-814-A(110kW)に換装しました。これは、この年(1986年)にVVVFインバータを使用した車両が出来るということが話題になり始めた時期で、城電でこの技術を導入するとなった場合に高出力の車両が走るとなると75kWモータでは太刀打ちできないだろうと判断されたためと言われています。
 2002年より700形による置き換えが始まり、殆どの車両が廃車されましたが、現在の基礎を確立した車両のため、2編成4両が教習用車両として在籍しています。普段は泰原台車庫の片隅に留置されていますが、イベントなどで運行されることもあります。なお、廃車されたモータですが事業用車両に流用(4台では高出力のため2台に。最高速度が40km/h程度で走らせるなら2台で充分と判断されたようです)されています。
 また、300形以降は3両編成を基本として製造しているため、2007年を以って2両以下の編成は営業用としては姿を消しました。


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