城中電鉄 

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100形

 100形は、1952年に導入された17m級の車両です。
 1952年、城中軌道は新しく城中電鉄に名称を変更し、軌道法から鉄道事業法へと変更されました。当時は単行のチンチン電車が市内(現在の御宿〜鐘ヶ浜間)を走っていた状況でした。宮代とのインターバン構想があった城電では、鉄道事業法に変更したほうが良い」という意見がありました。
 というのも、軌道運転規則によると「車両を連結して運転するときは、連結した車両の全長を三十メートル以内としなければならない。」と定められており、また、「車両の運転速度は、動力制動機を備えたものにあつては、最高速度は毎時四十キロメートル以下、平均速度は毎時三十キロメートル以下」という条文もあるので、路面電車がああいう形態になってしまうのもある意味当然と言えます。
 そこで、軌道法から鉄道事業法に変更する事によって柔軟な運用が出来るというのは大きな利点になると考え、変更しました。ただ、軌道法準拠でも別に構わないという考えもあるのですが、「特例」というのが嫌いだったようです。
 さて、「電車とは」と考えた際に、当時の標準的な「湘南窓」を採用する事に決定しました。「見た目から入り、親しみを持ってもらう」というのは実は重要なのです。ライトも当時の標準型である白熱電球1灯を採用しています。現在の城電の車両の系譜とは違うことが分かります。
 塗装は城中軌道時代より親しまれていたクリーム色と赤色のツートンカラーを採用し、これが現在に受け継がれています。
 そこで、早速100形は車両長17mの2両編成(つまり全長34m)の車両を導入しました。製造は川崎車両(現:川崎重工業車両カンパニー)が行い、MT比は1:1、最高速度は80km/hとなっていますが、当初は最高速度50km/hで認可を行いました。1955年の全線開業と同時に1500Vに昇圧をするとともに、最高速度を60km/hが認可され、最高速度が80km/hになったのは1960年のことでした。
 実は、この100形を新造する際、国鉄63系電車を導入することも検討されました。しかし、63系自体が戦時設計車両であり、新造するほうが63系を後から改造するよりも長い目で見れば得だろうと考えたようです。また、63系を導入するためにはカーブ半径の緩和や架線電圧の昇圧、変電所の増強といった施設の規格向上、狭軌から標準軌への変更などを行う必要があります。また、当時は宮代への路線の延長や掘削工事を行っており、そこまで手が回らなかったのも事実です。
 100形が登場した当初、城中市では驚きを持って迎え入れられました。何しろ、同じ場所を同じ色をした電車がビュンビュン走っているのですから。
 さて、1980年代に入ると城電の各車両は冷房化改造に着手し始めました。この100形も例外ではありません。しかし、ところどころボロが来ており100形の置き換えを行うべきであるという意見が寄せられました。そもそもこの100形自体が釣り掛けということもあり騒音が大きいという欠点があるのも事実です。そこで、100形は日中の運用をメインとし、非冷房のため夏はなるべく出庫しない(つまり予備車両とする)という手段がとられました。
 1987年より600形に置き換えられ、1991年に全廃されました。廃車された車両は101号車が泰原台車庫に静態保存、そのほかの先頭車両は中空軸並行カルダン駆動に換装されて事業用車両になっています。

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