10形10形は城電の前身の城中軌道が開業した当初存在していた車輌です。
1921年、城中軌道が翌年に開業するにあたって、下回りなどをどこのメーカーに依頼するかを決めなければなりませんでした。
車体は日本車輌製造東京支店が製造した12m級の木造車体で、クリーム色と赤の塗装をしています。これは、道路を巨大な物体が高速で(当時の制限速度は17km/hです)走行するというのは危ないという理由から視認性がよく、かつ自然に混ざらない赤色が選定されたようです。いや、決して当時の塗装責任者の趣味を全面的に採用したというわけではないのですよ。
そんなこんなで10形単車6編成で城中軌道は歴史を歩み始めました。
1922年に城中軌道の開業とともに走り出した10形は、路線の新規開業と利用客の増加により最終的には14両という陣容を誇りましたが、1943年の金属類回収令により床下機器を回収され、本線に最低限残った5両のみの運行となってしまいました。 |
英国で生まれた帰国子女の10形デース | |
……いやいや、英国製なのは下回りだけじゃないですか | |
バレましたか | |
(この人バレないとでも思ったのかな……)それにしても開業当時は凄い賑わいだったようですね | |
はい。祭りでもやってるのかという騒ぎだったようです | |
何か面白い話はありますか? | |
今だから笑い話になるのですが、乗車時に靴をホームに脱ぐお客さんが多発したそうです。なので、列車が発車するとホームには下駄が置きっぱなしになっていたようですね。そこで、各停留場には「靴を脱がずにご乗車できます」という注意書きを急遽作り掲示したそうです。それにしても下車する時どうしていたのかが気になりますね | |
電車に初めて乗るわけじゃないのに変なことするもんなんだね | |
いや、電車は初めてという人が多かったと思いますよ。何せ江坂道本線も非電化の時代ですから | |
ということは、城中市で初めての電化路線と言うことでしょうか | |
そういうことになりますね | |
城中軌道が町にできる時に反対運動とかなかったんですか? よく「鉄道ができると宿場が寂れる」とか言うじゃないですか | |
そういう記録は残ってませんね。むしろ逆に市自体が「城中軌道ができると産業が生まれる」と宣伝していたようです。現に鉄道事業という産業ができたのでその公約は果たしたと言えますね。城中軌道が誕生したことで私も社員になれたので万々歳です | |
この人を採用してよかったのだろうか…… |